落ち着くためにクラシックを低音量で流しながら。
今日で私の三年間の夏休みは最後を迎える。明日から社会人、労働者の仲間入りで、私の職種はリモートができないので平日は毎日電車に揺られて通勤することになる。
5月は散々、就職のことを書いてきたのだが、今一番緊張している。はっきり言って怖い。
怖すぎて、スピリチュアルに嵌っていた時に愛読していた「愛とは怖れを手放すこと」なんてものを本棚から引っ張り出して読み始めたくらいだ。心の中の映画監督は二人いらないから怖れと愛のうち愛を選びましょう、今日から私は目に見えるもの全てをこうあってほしいという姿で見つめます、とか書いてあって、2章くらいまで眉をひそめて読んでいたが、そっと戻した。そして正反対だと思われた、愛と正義を否定する青い芝の会の本を読み始めたが、今ナーバスになっている我が心に寄り添ってくれるのはこの本でもなく、キリキリと迫るような内容に疲労してしまいそうだったため、これも戻した。
アパートメントでもちょっと書いたが、スピリチュアルとは長年の付き合いで、るんるんと常にご機嫌でいて未来を先取りし、自分がそうなると「決め」てしまえば全てが解決する、というような言説はもう飽きるほど見てきた。これはいわゆる引き寄せの法則という類のもので、熱心な信奉者がいる一方で、眉唾ものだとも世間的に思われている。
連載ではスピルチュアルは「甘い毒」と表現したが、結構役に立つこともあるのも事実で、それに傾倒する余り社会への目線がなくなるとか、高額なセミナーに大金を払うとか、そういうことがなければ、文字通りスイーツのように食べ過ぎ注意で日常に取り込んでもいいんじゃないかと思っている。私の最近の成功例は容姿で、「私は可愛い」という思い込みを行っていたら、結構雰囲気が変わって、恋人に「今日なんか可愛いね、顔が」と褒められたりした。プラシーボ効果というやつかもしれないが、思い込みは無料である。こんなもので毎日が楽しくなって目標に近づくなら、いくらでもぶつぶつ呟いてやるよ、というのも本音だ。
でもその塩梅が難しい。引き寄せにおいては、自分の気分の下がるものは見ないようにしましょう、あなたのエネルギーを暗いニュースに使うのは、その事象に力を与えることにもつながります、とか報道の意味とは?と問いただしたくなるようなことが真面目に書いてあったりする。昔、前世療法のカウンセリングを受けに行った時、アベ政治を許さないと言っている人たちは、そういうことで逆にいやだと思うことに注力しているのよ、とスピスピしたカウンセラーのおばさんが言っていた。そのように、常に感謝や豊かさに焦点を当て続けていないと引き寄せは失敗なのだ。
しかしこの狂った状態の世界で、この無責任さが蔓延る世界で、人権無視がまかり通る世界でそれらを見つめたら、「常にいい気分るんるん!」なんて不可能だ。自己責任論と無責任の合わせ技を人生に本格的に取り入れ始めた時、人は思考停止する。毎日はそりゃ愉快になるかもしれないが、宮沢賢治は世界が全体幸せになるまでは個人の幸せはありえないと言っていた。それはそれでやりすぎだが、(宮沢賢治の考えは逆にファシズムに傾倒しかねないとも思う)搾取の上に成り立つ豊かさを見つめて自分の豊かさを構築していくその現世利益しか考えないスピリチュアルとは?と大いに疑問に思う。
それでも今の私には、小学校の時に好きな男の子の名前を消しゴムに書いたようなテンションだったら、スピリチュアルを嗜んでもいいんじゃないか、という気持ちがある。
だって、マジで叶う時もあるんだもん!結構恋愛とか、それで叶ったことあるし!とゆるふわな部分が申しております。
おまじないや占いと同じ類だ。自分の現実から目を逸らすためにスピスピを使っている自覚がある。ただ言えることは、私は絶対に社会に目を向けずに「豊かさと愛を吸い込んでキラキラとしたもやに身体中包まれるイメージを行いましょう瞑想」ばかりやったりしない、ということである。
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