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健常者の世界には健常者という言葉が存在しない

私にとっての地獄は喉元を過ぎたようで、ラットレースに乗れもしないことを嘆き悔し泣きをしていた頃のリアルをどんどん忘れていく。お金を稼ぎ、その収入で生活を賄うという世の中のほとんどの人が生きている日常に、私もいる。そのことに正直けしからんほどの安堵感を覚えている時点で、私は生活保護受給者でありながらスティグマや差別意識を内面化していたし、今もそうであることを認めざるを得ない。臆面もなく「自己成長」みたいなものに走って行きたくて、これを書いている。自分に向けられる自己責任論や能力主義が日毎に増している現状の中、一旦立ち止まって過去を見返すことでけろりと迷いから抜け出したいと思っている。



障害者雇用は障害年金を受給していたり、養われているのを前提としたような低賃金だ。その上、誰にでもできる単純作業を繰り返す雑用が主だったり、そもそもキャリアアップが見込める職種は多くない。私は一度、名の知れている大企業に障害者雇用で就職したことがあるが、3日で辞めた。古い書類のホチキスを永遠と取り続け、電子化するという雑務が繰り返される労働に本気で腹が立ち、私はこんな「縁の下の力持ち」になるために教育を受けてきたわけではないと涙が出てきたので、辞めた。ちなみに、「縁の下の力持ち」という言葉は辞める時に上司に言われたもので、雇う側である健常者の正気を疑った。障害者がどんな思いを持って障害を「受容」し、「サポート」に回っているのか一度でも考えたことがあるのだろうかと思った。生活が立ち行かないような賃金で健常者を支える側として生きる惨めさに私は耐えられなかった。尊厳が保てなかった。


就職がうまくいかない、だったら作業所に行こうと思って色々行動してみた結果、健常者は障害者を舐めているということがわかった。A型は見学も体験もしていないので、B型についての言及しかできないが、工賃など昇給して300円くらいのお粗末なものだ。そこにいる支援員たちと私の、何が違うのかがわからなかった。障害がある者とない者で支援される/する側に分かれる理由がわからなかった。ただ、手を差し伸べられる立場であることに悔しさを感じるばかりだった。それが一時的な「居場所」として機能しているだけで、ちゃんと次の社会復帰の機会が保障されているならまだ良かったが、ほぼ終の住処のようになっていて、自分がずっとここにいると思うとぞっとした。ぼんやりと日向ぼっこしている利用者を見ると気持ちが悪かった。


私は障害者も健常者も大嫌いだ。自分の障害者である部分から発される怨嗟が本当に恨めしいし鬱陶しい。健常者の無邪気さを憎んでいる。支援者と呼ばれる職員たちに、助ける側でいられて本当に良かったねと言いたかったし、この煮えたぎる感情が自分から湧き出ることを思うとこの世の全てを呪いたかった。


社会の方に障害があるというのが現代の障害学の基本だろう。それは全く、その通りだと思う。クローズでフルタイム就労できるくらいまでに回復してきた身から言うと、健常者のふりをして過ごすのは本当に快適で、仕事探しで困ることもない。健常者の世界には健常者という言葉自体が存在しないことを強く感じている。


私はこのまま、呪いのない世界で生きていきたい。しれっとそんなことありましたっけ、みたいな顔しながら、罪悪感なんて置いてけぼりにするくらいの勢いで、障害者とか健常者とかの区分さえ意識に上ることのない特権を享受しながら人生を謳歌したい。おそらくそのためには、今まで私を支えてきた価値感をいったん箱に収めてすきま時間を「活用」し英単語を覚え、手帳術によって日常を「管理」していく灰色の男になる必要がある。私は私のために生きている、だなんてカッコ悪くて言いたくないけどさ、やっとみんなと同じステージに立てたんだから、これくらい許してくださいと自分の美学に向かって嘆願している。


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